「自己責任(じこせきにん)」とは、自分の責任の事。またそこから発展した「自分が起こした行動の責任は自分で取る」という考え方。「責任」とは、己の意思で決めた行動から来る結果に応答・対処する義務と定義されるが、わざわざそれに「自己」を付け強調する、いい意味でも悪い意味でも(大半は後者だが)日本人らしい言葉。
“自己責任(じこせきにん)”指自己的责任,以及从这个词发展出来的“自己采取的行动,责任由自己承担”的想法。“责任”的定义本就是回应和处理凭借自己意志采取的行动带来的后果的义务,但特意在“责任”前加上“自己”进行强调,这个词无论是从好的意义上,还是坏的意义上来说(大部分是后者)都很有日本人特色。
抑も自己責任は、自己、自分自身の行動により発生する影響は、自分がとらなければならないという考え方であり、他人は一切関わらないという主張を指す。また、契約書などにおける「免責事項」など、類義語や類似した表現もいくつかある。
自我责任本是指认为自己、自己的行动所产生的影响必须由自己承担的意思,主张他人与这些无关。另外,合同中的“免责事项”里,也有一些近义词和类似表达。
例1:危険な行為のため自己責任でお願いします
例2:駐車場内での盗難・事故につきましては責任を負いかねます
例1:因为是危险行为,请自行承担责任。
例2:在停车场内发生的盗窃和事故,我们无法承担责任。
免罪符としての「自己責任」
作为免罪符的「自己責任」
一個人や企業など一組織、場合によっては政府など誰(何)に対してもいえることだが、負える責任には限界がある。これを認めないと、たとえば「途上国の人たちが苦労してるのはXXXXが儲けてるからだ、XXXXは責任を取れ」といった無茶苦茶な責任転嫁を許してしまう。そのために、上記の「免責事項」等はどの契約書にもみられるものである。しかし、語感だけで捉えて深く考えず使いまわされた為、現在では以下のように使用・・・もとい誤用されてしまっている。
作为个体的一个人、作为组织的一家企业、以及一些情况下的政府,都是承担自我责任的对象,但自我责任的承担范围应该是有界限的。如果责任没有界限的话,诸如“发展中国家的人为生活所苦是因为钱都被XXXX赚了,所以XXXX要对他们的生活负责”这种胡闹般的责任转移就会被原谅。因此,出现了上文例子中那样在合同中可以看到的“免责事项”。但没有经过深思熟虑,仅凭语感在以下情况中也使用「自己責任」这个词,是从根本上就用错了。
1.他者に影響しない行動であることをアピールし自分への影響を拒否するとき
2.連帯責任者が決まっていない連帯責任行動をおこなう事を、形式上注意しておくとき
3.親、友達、学校、会社、景気、障害、病気といった外的要因や先天的なものを全否定し、社会的弱者に的外れな説教をするとき
1.宣称是不会影响他人的举动,并否认这一举动对自己产生的影响时
2.在没有确定连带责任者的情况下,对会产生连带责任的行动,仅在形式上提醒自我责任时
3.全盘否定父母、朋友、学校、公司、经济状况、残疾、疾病等外在因素和先天因素,对社会弱者进行离题的说教时
特に3つ目。落ちぶれたり、追い込まれて挫折する原因は、多かれ少なかれ本人にもある。周囲の人も、支えるための体力・経済力・精神力がいつまで続くか分からない。ゆえに現状を自分で解決する(解決しようと試みる)義務が無いわけではない。
尤其是第三条。落魄或受挫,或多或少是本人造成的。周围的人要帮助他们,所必要的体力、经济和精神不确定能持续到什么时候。因此,本人确实有解决(或尝试解决)现状的义务。
しかし残念なことに、この自己責任という言葉は、その自分で解決する義務に漬け込んで 「他人のせいにするな、自己責任だろ 」 などと、中身のない説教(というより誹謗中傷)で他人を攻撃する免罪符として悪用されてしまっている。
但遗憾的是,「自己責任」这个词已经完全变成“不要把责任推给别人,这是你自己的责任”的意思,完全将解决问题的义务交给自己,「自己責任」就变成了对他人没有实际意义的说教(更不如说是诽谤中伤),即攻击他人的免罪符,而被恶意使用。